切手の歴史は?どうして切手は生まれたの?
切手収集は、収集趣味の中でも代表格と言っていいほどメジャーです。
様々な娯楽のある現代では、切手収集を趣味にしている人は減っているイメージを持つ人もいます。
しかし、現代ならではの切手の楽しみ方も生まれ、新たな切手の魅力に気付く人が増えているのも事実です。
そんな切手はいつ生まれたのか、どうやって広まったのかについて紹介します。
知っておきたい切手の歴史
そもそも切手はいつから始まった?
19世紀初頭では、郵便を送るうえで料金の前納システムについての考案が様々な国で行われていました。
1819年には、現在のイタリア北部である、サルデーニャ王国で前納制度の実施を試みたものの、実際に郵便制度を取り入れ、開始したのは1840年のイギリスからでした。
切手制度の始まりはイギリス
1840年代のイギリスは、産業革命期であり、経済の発展が急速だった背景もあり、国や、国民たちから必要とされたのが、素早く正確に情報を伝達する手段でした。
郵便に前納制を取り入れ、それと共に、郵便物の重量制、全国均一の料金制などが生まれ、今の「切手」が誕生しました。
近代郵便制度の考案者は、ローランド・ヒルであり、切手の考案者はイギリスのジェームズ・チャルマーズと、オーストリア帝国のロヴレンツ・コシールと言われています。
初めての切手はヴィクトリア女王
イギリスで一番最初に発行されたのが、当時の国家元首であったヴィクトリア女王の横顔の肖像がデザインされたものでした。
1ペンスで黒色の切手と、2ペンスで青色の切手が発行され、黒い方は「ペニー・ブラック」という愛称で親しまれ、次の赤いデザインである「ペニー・レッド」に変更されるまでに約6000万枚が発行されました。
また、その頃の切手には、裏糊は付いていたものの、今の切手のようにミシン目が無く、自分で鋏を入れて必要な分だけを切り取る必要がありました。
日本の切手の始まりは明治時代
日本で最初に発行された切手は、明治4年の「竜文切手」であり、通貨の単位は「文」とされていました。
翌年の明治5年には、単位が「銭」に変更され、16年には「円」に変更されました。
竜文切手の額面は、48文、100文、200文、500文の4種類あり、郵便物の重量や、届ける距離によって必要な額が異なりました。
万国郵便連合によって切手に国名をいれることが決まる
万国郵便連合(UPU)は、郵便に関する国際連合であり、日本も明治10年には加盟し、アジア諸国では初めての加盟となりました。
UPUによって、国際間での郵便交換がスムーズに行えるように、切手に自国の国名をローマ字で入れることを義務付けました。
その為、日本の切手を確認すると、「NIPPON」と表記されていることが分かります。
国名を印字することは義務化されましたが、今の切手の発祥となったイギリスだけは、君主のシルエットを国名表記とみなす、という特例が設けられています。